人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「戦火のナージャ」、親子は再会できるのか

監督:ニキータ・ミハルコフ、
彼の一族は芸術家のようで親族にロシア国歌を作った人がいるらしい。
監督兼俳優。
出演者
主人公コトフ元大佐:ニキータ・ミハルコフ
コトフの娘ナージャ:ナージャ・ミハルコフ
コトフの追跡をするドミートリ大佐:オレグ・メンシコフ

150分、2010年制作
ロシア映画
ツイン配給

コトフ大佐とその娘ナージャの物語「太陽に灼かれて」の第2章。
死んだと思われていたコトフ大佐は生きていた。
コトフ大佐は以前お菓子のパッケージに載っていた程の英雄だった。
それが、スターリンの台頭によって政治犯にされ強制労働をさせられ、
命まで危うくなっていた。
だが、敵方の将校を捕虜にしたことによりコトフの罪は横領罪に格下げさせ、
彼は生き延びていたのだ。

その後 彼と娘ナージャに降りかかった出来事を交互に描き、
戦争の悲惨さを叩きつける思いで描き出している。

エピソード1、ナージャ
ナージャは声楽隊の一員として赤十字の船に乗っていた。
その船を執拗に挑発するドイツ軍の飛行機。
ギリギリのところまで低空飛行してくる。
更には信じられないことに、お尻を突き出しウンチ攻撃をしようとする
パイロットの助手がいる有様。
たまらず船に乗っていた一人の男が発砲してしまい、ウンチ男に命中、
即死させる。
怒ったドイツ軍は赤十字の船であることなどお構いなしに一斉攻撃、
船から落ちて海に漂う人達にも容赦しない。
ドイツ軍は攻撃してしまった以上証拠が残らないように
皆殺しにしようとしているのだ。
絶体絶命というその時、もやがかかってきて、
ナージャら数名はなんとか難を逃れた。
ナージャと牧師は機雷に捕まり何とか漂っている。
牧師は足を負傷していて助からない事を自覚している。
人生最後の行いとしてナージャを洗礼、彼女はクリスチャンとなる。
牧師はナージャの目をつぶらせ
機雷から手を放し、海のまにまに消えてゆく。

機雷にしがみつきながら一人海をさ迷うナージャの目に船が見えた。
必死に助けを呼ぶ彼女の思いも虚しく通り過ぎてゆくソビエト船。
関わりを持ちたくなかったのだろう。
運良く彼女は陸地にたどり着き、
自分を陸地に導いてくれた機雷に別れを告げる。
その機雷が、
ナージャを助けなかった船にぶつかり船が爆破してしまうシーンはご愛嬌か,


エピソード2、コトフ大佐
ドイツがソビエト領に押し入り、
コトフが強制労働させられている収容者達が移動することになる。
彼は丁度その時に政治犯から横領罪に変更された。
移動する前に政治犯達だけは小屋に入れられる。
政治犯だけはこの場で処分して残りの者だけを移動させるのだ。
移動の為の護衛係としてやって来た赤軍に
小屋に入れられた政治犯達は一斉射撃される。
それと同時ぐらいに今度は赤軍自体が
上空からドイツ軍の飛行機に攻撃される。
その隙にコトフは逃げ出す。
コトフが逃げ出すころ、ロシアの至る所で赤軍と一般兵達が衝突、
ソビエト国内は混乱の坩堝(るつぼ)、
統率が取れていないことが暴き出される。


この辺までは生々しい殺戮シーンは少なく画面を正視出来ていたが、
案の定だんだん見るに耐えない場面が写し出されるようになる。
といって、無用に残虐なシーンやグロテスクなシーンを描いているのではない。
必然性があり、
だからこそ戦時中としては普通に行われていた行為を映し出しているのだ。


前作はアカデミー賞外国語作品賞に輝いた
「太陽に灼かれて」という1990年代の作品。
前回同様ナージャは実の娘が演じる。
幼稚園児程だった彼女はもうすっかり大人の女性だ。
だからこそ、あわや強姦されそうにもなるし、
最後の母性を感じさせるシーンを演じることも出来る。

「戦火のナージャ」、親子は再会できるのか_c0146834_23375279.jpg


エピソード3、ナージャ
ドイツ軍がある村に入ってくる。
若者中心で編成されている部隊だ。
そこを通りかかるジプシーの一団、
その一団をドイツ軍のひとりが突然機関銃で撃ちまくる。
ジプシーの一団でただ一人、幼い少女だけが残される。
少女は手を合わせ命乞いをする。
この機関銃乱射に関してドイツ人達の間でも意見の衝突が起きるが、
お咎めは無い。
ジプシーじゃないかなどと捨てぜりふをはきながら乱射した青年は
ふてくされたように村を散策し始めると、そこへひょっこりナージャが姿を現わす。
男はにやつき、彼女は危険を察知し逃げる。
逃げながら、いえ家の戸を叩き、かくまってくれと頼むが、扉は開かない。
ようやく家畜小屋を見つけその中に逃げ込む。
男はしばらくぼぉっとしていたが、
何かを決めて行動に出始める。
彼女の後を追い、家畜小屋に入って行ったのを見つけ自分も入っていく。
暫くして乱射した青年を詰った同僚が家畜小屋で乱射青年の遺体を発見する。
蜂の巣をつついたように慌てふためくドイツ軍兵士達。
ひとっこ一人いない雰囲気だったが、予想以上にたくさんの村人達が集められ、
殺害した者は名乗り出るように言われるが誰も名乗り出ない。
それもその筈、殺害した者は高台からその光景をナージャと共に眺めている。
すると小屋の中に村人は閉じ込められる。
さっき生き残ったジプシーの幼い少女まで
ほおりこまれる。
その後小屋に何かまかれたと思ったら
急に小屋は炎につつまれる。
ガソリンがまかれていたのだ。
小屋の中からは悲鳴が。。。。。
高台からナージャはその光景を見て、
彼女を助けてくれた女性と忸怩(じくじ)たる気持ちで嘆き悲しむ事しか出来ない。

エピソード4、コトフ大佐
コトフ大佐はドイツ軍との最前線で一兵卒として戦っていた。
指揮を取っているのは古参の中尉。
そこへ学卒のエリート将校達が赴任してくる。
彼等を指揮している若者は、古参の中尉に自分の指揮に入れと言うが、
中尉は彼等をからかい逆に自分の指揮に入れてしまう。
実践体験がものをいう戦場は、
エリート将校達の机上の学問ではやっていけないのだ。
そのやり取りををじっと見守るコトフ。
彼らの一隊は武器など殆ど無い状態でドイツ軍を迎え撃とうとしているだけに
一つ判断を誤っただけで死活問題になってしまうのだ。
戦端が開かれると固唾をのんで待ちかまえていると、
後方から戦車の音が聞こえてくる。
味方の援護隊がやってきたと喜んだのも束の間、それは敵の戦車隊だった。
圧倒的な武器の差で蹂躙されていくソビエト軍。
戦闘が終わり、約200名いた仲間は十名足らずに。
中尉も生き残っていたが深傷を負っている。
手当てを部下がしようと腹の辺りをめくると内蔵がとびだしている。
コトフに水を飲みたいという中尉。
コトフは自分の水筒を差し出す。
もっと飲みたい、探してきてくれと頼まれ、中尉から離れ探していると、銃弾の音が。
中尉は死期を悟り、自らの手で命を断ったのだ。

凄い迫力で画面に引き込まれてしまう。
リアリズムで戦争の悲惨さを暴き立てていく。
観ている方に考える暇を与えてくれない。
だから、直感的に感じるしかない、戦争とは一体どういう事なのかを。


エピソード5、ナージャ
この映画の最後を飾るのは看護婦になったナージャの出来事。
彼女は戦いが終わった戦場で、負傷者の介護をしている。
負傷者はまだ若いというのに砲弾を受け、
顔にケロイドが出来た為、年齢の判断など出来ない。
ナージャが、
手当てをすれば大丈夫よ、おじさん
などと言うものだから、逆に自分の状態を知り、死期を悟ってしまう。
すると若者はナージャに懇願する、おっぱいを見せてくれと。
まだ恋愛をしたこともなく、女性の裸をまだ見たこともないのだ。
そんな若者が戦場に駆り出され
命を落としていく不条理な戦い。
ナージャは若者の望みを叶えてあげる為に服を脱いでいく。
カメラはナージャの背後からそのシーンを写し出す。
これぞ、戦火のナージャだ!

ここでエンドロールが入る。
結局、ナージャが父に会えたのかは明かされてる事はない。
だが、これほどまでにお互いに会おうとしている姿を観ていると、
いつの日かきっと会える事を望まざるを得ない。
by asat_abc | 2011-05-08 19:10 | 映画_新作
<< 「UNKOWN」、ひと捻りある結末 「まほろ駅前多田便利軒」、瑛太と龍平 >>